真田に服を脱がされた。

これだけだと、真田が急にエロくてひどい事をした風にみえるけど、実際はちがう。お堅くて健全な真田はそんなことはしない。実際には私の胸元辺りを日本刀で切ってしまったから、血と傷口を確認するため脱がしたのだ。.........だめだ、これでは真田が何か女の肌を切り裂くのが好きな変態ぽい。ちがうちがう、もう少し記憶をさかのぼってお話しよう。

その日は最悪だった。
昨晩、親とくだらないことで喧嘩して気持ちは暗く、おまけに生理初日だった。重たい体をずるずるひきずって校門をくぐった時、最近付き合いはじめたはずの木村くんが違う女と手をつないで登校するのがみえた。ハア?と思ってつめよると「だってお前ヤラせてくれねーじゃん?」とさらっと真顔で言われた。隣で甲高い癪に障る笑い声が聞こえた。木村は今「ヤラせてくれるからお前と付き合ってます」て言ってるようなもんなのに、隣の新しい女はニヤニヤ笑ってた。頭のネジが100本ぐらい外れてるんじゃないかと思った。一瞬で元カレになった男に平手打ちを食わせて(校門前は騒然となった)教室へ行った。その日は一日机の上でふて寝してた。お昼も寝てた。さっさと家に帰って寝ようとした放課後、眉間に皺をよせた柳生に「さん、あなた今日風紀委員の会議さぼりましたね?これは今日委員会で決まった事をまとめたプリントです。頭に叩き込んでおいて下さい」とドッサリと重たい紙の束をわたされた。うろんな目で柳生を見つめる私に「ついでに真田くんにも1コピー渡しといて下さい。まあ、彼は全部頭に入っているでしょうが」と柳生は言った。

「......柳生同じテニス部でしょ?何であたしが渡すの?」

さん、お家が真田くんの道場とご近所でしょう?」

「何でそんなこと知ってんの?柳生ストーカー?」

「失礼な言いがかりはおやめなさい」

粗暴な行動もね、という風に柳生の眼鏡のふちがキラッと光った(今朝の校門平手打ち事件のことだな......)「この時間、真田くんはいつも道場にいますからね。頼みましたよ」と言って、すぐに柳生は踵をかえして去って行った。

くっそー何で私がっ......!と思いながら、紙の束を今日一日ほとんど開けてない学生鞄につっこんだ。


真田家の道場は順路にある。
近所でも有名な日本武道の大きな道場だ。その門前まで来た時、そのまま通りすぎようと思った。プリントは明日学校でもわたせるし、それに今日はとにかく早く家に帰って一人になりたかった。表札がビシッと掲げられた立派な門構え。真田ん家の道場は真田にそっくりだ。脳裏に真田の眉根をしかめた厳つい姿が浮かぶ。今はあんな暑苦しくて大きいモノみたくない。そのまま足早に去ろうとした時、ふと塀の向こうに立派な木が一本みえた。いくつか可憐な蕾みをつけ、さわさわと花びらが風に吹かれなびいている。綺麗だった。しばしその風情にヤケになってた気持ちが癒された。なんて木なんだろう?ともっとよく見ようと、ふらふらと門前まで行った時、ガラッといきなり門があいた。

「「あ」」

門下生らしき人と同時に目があった。
気まずい。

「あの......我が道場に何かご用でしょうか?」

「えーと.......」

「はい......?」

「木を......」

「木.......ですか......」

だめだ。
このままでは不審者だ。
そう思い、あきらめて真田の名を口にした。

「ああ、弦一郎さんのお友達でしたか!」

「まあ、友達というか......」

「ちょうど弦一郎さん道場におられますよ」

ささ、どうぞ上がってくださいと促され、とりあえず靴を脱いで道場へ上がった。ぺたぺたと靴下のまま冷たい木張りの廊下を歩いていると、横の稽古場から練習する門下生のかけ声がいくつも聞こえた。みんな熊の一匹や二匹投げ飛ばせそうなぐらい元気そうだ。

「真田さんはこの奥の稽古場に一人でおられますよ」

一人か。座禅でもしてるのかな?と思った。そんな最中に邪魔して怒られたくないなあ、と微妙な足取りですすんでたら、歩いても歩いても長い廊下は終わらなかった。廊下に軋む足音と、頭上にえんえんと続く瓦屋根。ヤバい、真田ん家の道場は広すぎる。リアルに迷子になりかけた頃に、やっと奥の稽古場の扉らしきものが見えてきた。

「さ、さーなーだー」

どっぷりと歩き疲れて、肩で息をしながら稽古場の扉を開けた。早くプリントを真田にわたして、とっととこの迷路みたいなデカイ道場からずらかろう。すでにそんな帰路のことを考えていた。私はとっても油断していた。

扉をあけた瞬間、チリッと熱い感触が胸のあたりを刺した。

「......っ!」

ぐらっと上半身がゆらぎ、痛みを感じる暇もなく、制服のシャツ部分が、安っぽい紙みたいにパラリとめくれた。人間、生命に関わる事故の瞬間はまわりの景色がやたらゆっくりに見えると言うけれど、その通りにスローモーションで私はそのウソみたいな光景をみた。ゆっくりと胸元から切り裂かれゆく布地。

正面には、真っ二つになった袈裟向こうで、稽古着姿の真田が驚愕した顔をしていた。手に日本刀を握りしめて。きらめく鋭い、その真剣の刃先。

え?............私、斬られたの?

一気に、体中の血の気がひいた。
膝からへなへなと、その場に崩れ落ちた。
たしかにさっきまで死にたいほど暗い気分だったけど、これはさすがに想定外だった。まさか、真田に斬られて死ぬなんて。衣服が切り裂かれた胸元をおさえる。今は痛くないけど、コレからどんどん痛くなって、傷口から血とかでるのかもしれない。やだな、みるの怖い。頭がクラクラする、このまま床に倒れようかな。うっわ.......今初めてこの稽古場の床みたけどピカピカじゃん......ごめん、真田。お宅の床汚すかもしれないわ、てなんで斬った張本人に詫びてんだよ私。

そんなノリツッコミに、大きな声がかぶさった。

!おい、大丈夫か!?」

真田がそばに駆け寄ってきた。

「真田.......あたし......」

「喋るな!傷口を見せろ!」

真田に抱きかかえられ、胸元を広げられる。
傷を確認した真田が、ハッと眉をひそめる。
それをみて、私も悲壮感に眉をしかめた。
あ......やっぱりダメだったか......

「無理そう......?助からない?」

「お願い......真田......家族のみんなに「ありがとう、喧嘩してごめん」て伝えて」

「それから......つ、ついでに柳生に.......」

「テメー恨むって」

私の恨みごとを無視して、真田は無言だ。

「真田?」

「.........真田??」

「あのー真田さーん?ここにそろそろ死ぬ人がいるんですけどー?」


もう一回傷口を確認し、真田がハアと溜息をついた。


「大丈夫だ、

「へ?」

「お前は死なん」

「え?」

「どこも斬れていない」


うそ?と思い、ハッと胸元をみれば、確かにシャツ部分は袈裟懸けにバッサリ斬れているものの、その下の肌はうっすらと赤くなっているだけで、ほとんど無傷だった。あわてて数分前の記憶を反芻する。

真田と私の立ち位置。
真田は3メートル以上も向こう側にいた。
当たり前だわ。これで遠い扉前にいた私を斬れるはずはない。

「でも......何で制服が切れてんの?」

「それは多分.......」

「何?」

「俺が刀を振るう事によって起きた旋風が、つむじ風のようになり......」

「えーと.......よくわかんないけど、かまいたちみたいなもの?」

「そうだ」

「ああ、なんだ......そういうこ......」

一瞬、フツーに納得しかけた。
が、慌てて正気にかえった。

「何でそんなこと出来んのよ真田っ......!?」

「すまん!」

深々と真田が頭を下げた。
いや、大きな図体の男にそんな風に頭を下げられたら......
倒れていた床から体をおこして、頭を下げる真田に近づいた。

「謝んなくていいよ真田、別に怪我したわけじゃないし」

「今すぐに氷嚢を持ってくる、冷やした方が良いだろう」

「あ、赤みのこと?いいよ、こんなんほっとけば消えるよ」

「駄目だ、痕が残ったりするかもしれん」

「そうかな......?えーと、じゃお願いします........」

稽古場を去ろうとした真田が「それとな......」と少し言いにくそうにした。
ほんのりと、顔が赤くなっている。
何を照れてんだろう、この人。

「胸元を、だな......」

「え?」

ハッと気づいてみれば、斬られた胸元からはしっかりとブラが透けてみえていた。
あ、やば。

咄嗟に胸元を隠した。
私も顔を赤くして。

「替えの服も持ってくる」

「お願いします.......」

消え入りそうな声で言った。


真田と二人で道場の縁側に座り、もらった替えの服を着て、氷嚢を胸元にあてた。
誰かの稽古着だろうか、肩口も袖もブカブカだった。

「これ、真田の?」

「そうだ」

「ふーん」

「心配するな、新品だ」

「や、そゆのは気にしてなかったけど」

やっぱ男物の服は大きいなあ、とか思っていただけだけど
真田は真面目に返した。律儀な人だな。

「すまなかったな、制服もきちんと賠償させてくれ」

「いいよ、家に何枚か替えあるし」

「それでは俺の気がすまん」

「いいけど......真田サイズわかんの?」

「む......」

「えーとあたしの胸囲はねー」

「いや、ちょっと待て

「ね、だからいいって」

「むう......」

真田は眉間に皺をよせて唸った。
まだ納得していない感じだ。
やっぱり律儀な人だな、と再度思った。

「そういや真田は日本刀振り回して何してたの?」

「あれか?あれは居合い斬りの鍛錬だ」

「居合い斬り?」

「そうだ。帯刀した状態で鞘から刀剣を抜き放ち、目の前の対象物を切り捨てる抜刀術だ」

「あーそれで袈裟がバッサリ真っ二つだったんだね」

「そうだ」

「すっごいねー前から真田て武士っぽいと思ってたけど、本当に武士だったんだねー」

「なんだ、それは......」

私のアホな返事に、苦笑する真田。
こうして一対一で話すと真田は意外に表情豊かだった。
風紀委員の会議での真面目なイカツイ姿しか知らなかった。
そこで私は今日道場に来た当初の用件を思い出した。

「そうだ、これ柳生から」

「今日の会議で決まった事をまとめた書類だな?」

「うん」

「会議室での姿が見えなかったが、体調でも崩していたのか?」

「えーとそれはですね......」

「サボリは感心せんぞ?」

「わかってますよー......」

私のテキトーな返事に、真田がぎゅっと眉間に皺をよせた。
あーこれはイカン....と思ってる内に、やっぱり厳しい声が飛んできた。

「大体、は風紀委員の一員として当初から態度が......」

くどくどと委員長としてお説教を始めた真田に、むぅと私は顔をしかめる。昔から態度が悪いのはわかっていたけど、今日ばかりは耳に痛いことを言われるのはつらかった。今朝の校門での失恋と、生理で死ぬほどお腹が痛かったのと、親とのケンカのダブルパンチならぬトリプルパンチで気がついたら放課後だったのである。でもそんな事を説明してもただの言い訳にしか聞こえない。真田の厳しい声が耳にわんわんこだましている。もらった稽古着はブカブカだけど着心地がよく暖かくて、隣にいる説教している本人の物かと思うとなんだかそんな温度さに泣けてきた。そういや木村くんの服一回も着てみたりしたことなかったなー、あーあ、憧れてたんだけどなあ、彼氏の服を借りてみたりするのって。今頃は新しい彼女と仲良くしてるんだろうなーくっそー.............

「おいっ.......?」

真田の声にハッと気がつく。
みれば真田が驚いたように私の顔を見ていた。

「なぜ....泣く?」

「へ?」

頬をなでれば、つーと涙の痕がつたっていた。
あわててぬぐっても、後から後から新しい涙がぼろぼろあふれてくる。
わーやばいなあ、こんな瞬間に泣くなんて。だめだ、本当に弱ってる。絶対真田が勘違いする。冷静になろうとして顔を手で覆ったら、やっぱり真田を勘違いさせた。

「す、すまん、そんなに強く言ったつもりはないんだが」

「いや、ごめん。ちがうよ。真田のせいじゃないって......」

ずずーと鼻をすすったら、すぐに真田が懐から懐紙をだしてくれた。
礼をいって、もらった懐紙で勢いよく鼻をかむ。縁側に面したきれいな庭に私の鼻をかむビミョーな音と、真田の気まずい沈黙が絶妙に流れる。かんだ紙を手持ち無沙汰にもってたら、真田が仕方なしに外のゴミ箱に捨ててくれた。泣いてる女に真田は優しかった。今日はよくよく真田に世話になる日だ。そして私はよくよく使えない。

私がようやく涙を止め終えると、おもむろに真田が静かに口を開いた。

「今朝の校門での事は聞いている」

「うん.......」

「柳生が青筋を立てていたぞ?」

「放課後にリアルにみせつけられましたよ.......」

「フ........」

そこで表情をすこし和らげて真田は言った。

「俺は今日学校でとは顔をあわせていない、だから実際の真相は知らん」

「うん.......」

「だが、こうやって泣いている女を前にして、どちらに非があったか大凡の見当がつく常識は持ち合わせているつもりだ」

「真田......」

「言いたくないなら言わなくてもかまわん、だが俺で良ければ話は」

「真田さん!!!!」

私の大声に真田がビクッとなった。

「な、何だ?」

「話っ.......聞いてくれますか?」

涙目でみつめる私に、真田は「かまわないが......その変な敬語はやめろ」と言って承諾してくれた。私が話をしている間、真田は真剣に聞いてくれた。時折、涙ぐむ私にまた懐紙をくれた。話が終わり、手元に紙のクズが積み重なった頃、最後まで静かに聞いていた真田は、バッサリと一言だけ吐き捨てた。

「その男は、馬鹿だな」

不快感をあらわにして、首をふる。

「一体全体、男女交際を何だと思っているんだ」

「相手を大事に想いこそすれ、の恋愛であろう」

「それを浅はかにも、肉体を真っ先に置くとは」

「まったく........けしからん。たるんでおるわ!!!」

誰かに言ってほしかった事を、真田が真っすぐに言ってくれて、私はまじまじと真田を見つめてしまった。

「不憫だったな、

「うん......」

「お前は悪くない」

「ありがとう.......」

それも欲しかった言葉だった。
優しげに言う真田の声に、私はまた涙が出そうになった。

「武士の真田さん.......」

「何だ?」

「そんな馬鹿男、刀の錆びにしちゃって下さい」

ハハハ、と豪快に笑って真田は「かまわんぞ?」と側にあった日本刀をとるフリをした。あわてて「冗談だよ」と言ったら真田はわかっていた。こんな冗談にも付き合ってくれるなんて。今日は本当に真田のいろんな表情がみれる。庭のきれいな景色、道場の元気なかけ声、隣に正座して座る頼もしい真田。貸してもらったブカブカの稽古着に顔をうめて、それらぜんぶに感謝したくなった。

ふと......
何で真田はあんなに真剣に今日居合い斬りを練習してたんだろう?と思った。つむじ風が起こるぐらいの気迫で、何を切り捨てたかったんだろう......?こんなに真っ直ぐな真田でも悩むことがあるんだろうか?もしかしてそれって............

「ねえ、真田は好きな人がいるの?」

「い、いきなり何を言うんだ?」

「いや、ちょっとそんな気がしただけなんだけど」

「俺のことは今は良いではないか」

「あ、否定しないってことはやっぱいるんだ?」

「むっ.....」

「いいよ、言わなくて」

たぶん、私の知らない真田の事情があるんだろう。さっき語ってくれた恋愛論と彼の優しい一面をみて、私は確信した。こんなに恋愛にたいして真摯な真田が好きな人てどんな人なんだろう.......それに見合うぐらい良い人だったらいいな。今日あんなに私の愚痴に付き合ってくれたマメな真田だ。きっと素敵な人に想いをはせているに違いない。何にしても......

「真田に惚れない女は、馬鹿だよ」

私もバッサリ切り捨てた。
困ったように眉根をよせて真田がコチラをみた。

「お前はまったく......」

「あ」

即座に、今言った自分の台詞が刺さって返ってきた。

私は、馬鹿だ。

「ハハ.......」

「今の台詞は聞かなかった事にする」

「お願いします」

もう御暇しようとする私に、最後、真田は茶をだしてくれた。
道場の縁側に2人で座って、静かにお茶を飲んだ。
真田道場のお茶は熱くて美味しかった。今日のすべてのイヤな出来事が、一口一口飲む度に洗い流されていくような思いがした。

「お茶ごちそうさま。じゃそろそろ帰るね」

「送っていこう」

「気つかわなくていいよ」

「いや、駄目だ。親御さんに制服の説明をしなければならん」

「いいけど......真田どんな勘違いされても知らないよ?」

「む.......」

「脱がされた上、男の子の服借りて帰ってきたなんて大騒動になるって」

「むむ......」

「ね、そこら辺は上手く誤魔化しとくから」

「頼む.....」

「いいってことよ」

真田は最後まで、やっぱり律儀だった。

道場の門前まで来た時、頭の上に先ほどの立派な木がみえた。
何故か、さっきよりも蕾みが花開いて、よっぽど綺麗にみえた。

「ねえ、真田」

「何だ?」

「この木さ......」



スカートの上に稽古着という、ちぐはぐな格好で私は帰り道を歩いた。手には一本の枝をもって。木のことを訪ねたら、真田は鋏を手にして花が開きはじめた枝を一本剪定してくれた。添え木をして、庭に埋めたら来年には新しい葉をつけるだろうと真田は言った。帰りに真田は門前まで見送ってくれた。去り際にチラッと見たら、やっぱりその姿はこの大きくて立派な道場とそっくりだった。でも、威圧感はなく来た時よりもずっとその姿は親しみにあふれていた。

からんころん、とプリントが無くなって軽くなった鞄の中で
ペンケースと教科書だけが音をたてる。

明日、ちゃんと稽古着を洗って返そう。
もらった枝はちゃんと庭に埋めよう。
もし、来年葉をつけたら、それを真田に報告しよう。
真田笑ってくれると良いな。
何だって真面目でお堅い真田の笑顔は貴重だから。

あーあ、今日は本当にいろいろあったなー
今夜はぐっすり寝よう、明日起きたら学校がある。
そこでまた、真田に会える。
だから、大丈夫。

胸にデカデカと「真田道場」と書かれた稽古着を着て
一まわりも二まわりも強くなった気分の私は、軽快に帰り道を歩んだ。




120510